2010年9月11日土曜日

第25回日本国際保健医療学会学術大会 1-1

 初日の今日は、午前中はシンポジウム「大規模自然災害に立ち向かう 人道・人倫・人知」、お昼はポスター発表、午後からは特別企画「アフガンとの約束」に行ってきました。会場では、先日ファシリテーター養成講座で知り合った先生方や、先輩JOCVや、来年駒ヶ根で一緒に訓練を受ける同期JOCVの先生にお会いすることができました。また、先日、長崎大学大学院の説明会に行ったときに在校生代表でお話されていた先輩JOCV(看護師)の方もいらっしゃっていて、声をかけて下さいました。
 シンポジウムでは、シンポジストとしてJICAの国際緊急援助隊(JDR)として活動した医師、自衛隊の医療援助の統括をした医師、赤十字の救援活動に参加した看護師、と言った方々のお話を聞きました。5人中4人はハイチの地震で活動された経験を話されました。
 まず最初にJDRが現地に入り、その後自衛隊、そして赤十字と医療援助を引き継いでいったそうです。地震直後は、ほとんどが外傷患者であり、その65%が感染を伴う外傷であったそうです。よって処置に時間がかかり、一時間に診れる患者の数は数人だったとのことでした。感染を伴う外傷の例として、傷の奥深くで、うじ虫が隠れている写真があったり、骨まで露呈した皮膚欠損のある写真もあり、衝撃的でした。感染創を洗浄・デブリするための麻酔は日本は局所麻酔しか持っていないので、ケタミンという全身麻酔薬を国連や隣のドミニカ共和国にもらって対応していた、とのことで、各国から集まる医療チームは協力し合って活動を行っている例も知ることができました。逆にレントゲン撮影装置とエコーは日本しか持っていなかったので、他国の医療チームから撮影依頼が多くあったそうです。地震発生後、時間が立つに連れて処置に時間のかかる患者数は減少して、1時間に10~20人ペースで患者を診ることができるようになってきたそうです。2ヶ月後には地震と直接関係のない病気が多くを占めるようになり、公園で精神科の医師がカウンセリングを行ったりする光景が見られるようになった、とのことでした。最初に入ったJDRは前述のように外傷患者への対応に追われていましたが、最後の赤十字は、医療だけでなく、保健、水・食糧・住居など、様々なレベルでの支援を行いました。
 このような報告があった後、いろいろなディスカッションがありました。診療録(カルテ)の扱い、セキュリティーの問題、医薬品の問題、通訳の問題、現地人雇用の問題など。考えなければならないことはたくさんあるようです。私のような、国際医療援助に関して素人な人間の頭ではオーバーヒートしてしまいそうな程の情報量でした。目的が違えば方法も変わる。複雑な問題と常に付き合いながら活動するのが国際協力なんだなぁ、と思いました。
 午後からのプログラムについては後日書こうと思います。

2 件のコメント:

  1. 私など全くの門外漢だけれど、私自身も勉強になる内容だった。様々な出会いを通じて、人間関係が培われている様子、大変嬉しく思うばかり。次の内容も楽しみ。

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  2. katabira no tsujiさん
    先生、ありがとうございます。今、福岡空港に到着し、時間までラウンジでくつろいでおります。
    今日もまた新たな出会いがありました。また、そのあたりも書こうと思います。

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