2012年1月9日月曜日

日系社会

カリブ諸国最高峰の山頂から。ご来光。
明けましておめでとうございます。

 戦後、日本政府が行った移民政策により、南米を中心に年間1万人の日本人が海を渡りました。中米の国、ドミニカ共和国にも249家族、1319人が1956年、ぶらじる丸に乗りサントドミンゴ港に到着しました。そのため、ドミニカ共和国には日系社会が存在します。
 しかし、この移民政策によってドミニカ共和国に移り住んだ日本人はみな、非常に苦しい生活を強いられました。事前に聞かされていた条件や環境と大きく異なった移住地だったのです。
  18ヘクタールの土地の無償譲渡のはずが、実際はその3分の1だった
  豊かな土地と言われていた場所は、農業には適さない土地だった
  (粘土質の地面や、塩を含む土地、深刻な水不足)
  土地の所有権は認められず、耕作権のみが与えられた
 などの悪条件により、夢と希望を持って移住してきた日本人は、自らを「日本に捨てられた=棄民」と考えるようになりました。2000年~2006年、移住者は国を相手に訴訟を起こすことになりました。

 「棄民」から「移民、日本人」になるために。

 この訴訟により、国の無責任な政策立案・外交が浮彫になり、国は移住者に対して謝罪、つまり責任を認めました。当時の総理大臣、小泉純一郎氏の談話で、「政府の当時の対応により移住者の方々に多大な労苦をかけたことについて、政府としては率直に反省し、お詫び申し上げます。」とあります。(全文←クリック)
 JICAはドミニカ共和国のドミニカ人社会の発展のために青年海外協力隊およびシニア海外ボランティアを派遣しています。そしてドミニカ共和国の日系人社会の発展のために日系社会青年ボランティアおよび日系社会シニアボランティアを派遣しています。
 私は青年海外協力隊ですが、日本人・日系人の力にもなりたいと思っています。自分の能力を発揮する場をドミニカ人社会に限定する理由はないと思っています。もちろん自分の職務は全うすることを前提としてですが。
 私と日系社会を結びつけてくれた日系社会シニアボランティア(看護師)のKさん(Kさんのブログ←クリック)という方がいます。(私のドミニカ共和国での母です。)来月、日系社会の健康講座のお手伝いをさせていただくことになりました。昨日、そのために、ドミニカ日系人協会の会長の所へご挨拶に伺いました。私のことを受け入れてくださり、今後も協力できることがあれば、協力していくことになりました。
 日本と同様、こちらでも日本人の高齢化が進んでいます。しかし、日本のように医療が発展しているわけではないし、アクセスが容易でなかったりもします。障害がある人には障害の治療を、ない人には長く健康でいてもらうための指導を、Kさんなど保健・医療に携わる人たちと協力して、(今は)地道にやっていきたいと思います。

4 件のコメント:

  1. 水っち、協力をありがとう。そして日系協会会長からわたし達への励ましの言葉をいただき嬉しく思っています。みんなで協力してドミニカ日系社会、ドミニカ共和国の人々のために働いていく大切さを実感しています。

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  2. 頑張ってるなあ。保健医療関係の仕事と言うのは、やっぱり凄いな。”協力する”というコトバに重みがあるね。Kさんのブログにも行ってきました。いい出会いやね。出来ることを後悔のないよう、やるだけやっておいで。

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  3. kiyomiさん
    こちらこそ、ありがとうございます。頑張っていきましょう。できることはなんでもします!

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  4. katabira no tsujiさん
    「協力」という言葉は、2012年の目標に入れた言葉の一つです。点の活動から、線の活動へ、そしていつか面の活動になっていくよう頑張っていきます!

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