2012年6月27日水曜日

折り返し

派遣されて、もう(? やっと?)1年が経ちました。左コラムにあるカウントダウン時計も「あと365日」と表示しています。同期のみんなも元気にやっているでしょうか? FACEBOOKやSKYPE、メールなどでみなの様子を知れますが、それでも全員を把握することはできません。平成23年度1次隊が、みな無事に任期を全うし、達成感で満ちた素晴らしい顔で再開できることを願います。
 さて、私の方は、1年経ち、やっと技術移転が軌道に乗ってきたかな、という段階に来ました。これまでは、知識や技術を「押し付けている」感がありましたが、最近は「学びたい」という人が集まってきてくれるようになりました。やりがいが出てきて、毎日が楽しみに思えるようになってきました。
 「押し付け」指導を行っているときは、「こんなことやって意味があるのか?」や「なんやその態度は!」と日々感じていましたので、ストレスも大きかったです。しかし、そんな時でも、周りからは「頑張ってね」と言われるので、更に辛い時期もありました。一時期体調を崩したのも、ストレスが一つの原因だったんだろう、と思います。
 残り1年で、できるだけ多くの理学療法士に技術移転を行いたいと思います。また、今後派遣されてくる理学療法士や作業療法士、義肢装具士などとも協力して、いろいろなことをやりたいと考えています。そして、この国の理学療法がより良いものになるための援助の仕方を再考したいと思っています。けど、その間に一度、日本に戻ろうと計画しています。心と体のリフレッシュと、理学療法士としての知識と技術のリフレッシュを兼ねた一時帰国にしようと思います。チケットはもう取ってしまいましたので、大変な時も「これを乗り越えたら日本だ」と思いながら活動することにします。航空券は往復で12万6千円と比較的手頃なのが手に入りました。
 さあ、もうひと踏ん張り!

2012年6月2日土曜日

周囲の安全確認

 先日、JICA事務所で、ボランティアによる中間・最終報告会と、現地警察官(安全対策クラーク)および大使館の安全対策官による安全対策連絡協議会がありました。報告会は年に4回、安全対策連絡協議会は年に2回、実施されています。
 安全対策連絡協議会では、最近の犯罪手口やその対処法などが紹介されました。その話の中でこういう内容がありました; 「道で倒れている人がいたら、近づいてはいけない」。私は最初、理解ができませんでした。傷病者を発見したら、自分の持つ知識・技術を総動員してファーストエイドに当たらないといけないと考えていました。意識がない、呼吸がないなど、重体の場合は救命処置を行い、人命救助を行うことがバイスタンダーの責務だと思っていました。それなのに、なぜ?? なぜ救命活動を行ってはいけないの?? 派遣前訓練や派遣後のセミナーでBLS(一次救命処置)を、JICAは私たちに学ばせていたのに!?!? 私は医療従事者として、苦しんでいる人を見て見ぬ振りすることはできない、と思い、モヤモヤしながら話を聞いていました。
 日本にいる時に、私は外部のBLSの研修を何度か受けていました。ダイビングのストレス&レスキューコースでも再び学んだり、前述のように派遣前訓練やドミニカ共和国でも学びました。傷病者がいたら、意識の確認をし、呼吸の有無を確認、呼吸がなければ次は・・・、など繰り返し訓練してきたのに、「傷病者には近づくな」と言われると、これまで学んだ事はなんだったんだ、となってしまいます。
 けど、私が忘れていたのは「ここはドミニカ共和国」という事と、救急活動で最優先すべきは「自分自身の安全」という事でした。この国の最近の犯罪で、傷病者を装った強盗事件があったそうです。銃の所有が認められている国であるので、銃による傷害事件や殺人事件も頻発しています。傷病者を発見したときに最初にすべき「周囲の安全確認」がこの国では難しく、傷病者に安易に近づくと危険なことが起こりうるのです。例えば、傷病者が麻薬犯罪の関係者で、あるトラブルから銃で撃たれた、という事件があったとすると、不用意にその被害者に近づいた者は、仲間か何かに勘違いされ、同じように銃で撃たれる可能性もあるのです。日本では周囲の安全確認と言えば有毒ガスの有無や、落下物のある可能性など、周囲の「物」に関する安全確認のみで良いと思いますが、ドミニカ共和国では周囲の「人」および傷病者の中に危険な人がいないかの確認が必要です。これは、目の前で卒倒するなど、状況がはっきりしている場合でなければ困難です。
 人が倒れていてもすぐに駆け寄れないのは、治安の悪い国では、自身の安全のためには仕方がないことです。救える命があったとしても、状況不明の場合なら、その場から離れることが正しい選択だと思います。
 治安と救命率を比較検討した研究があるのか、気になるところです。新たな興味が生まれた一日でした。