2011年12月31日土曜日

料理が好きになった1年を振り返る

五十嵐亮太投手と
 もう2011年が終わり、2012年になろうとしています。今年はこれまでで一番大きな変化があった1年だったと感じます。
 1月、日本の病院でまだ働いていた頃。本来ならあまり忙しくない時期なのに、スタッフの退職が続き、激務が続いた日々でした。この月に、初めての実習指導者会議に出席し、教育について考えるきっかけをもらいました。
 2月、日本について知ろうと、思い切って有給休暇を長めに頂き、広島長崎を訪問し、じっくり勉強しました。25年以上日本に住んでいるにも関わらず知らないことだらけだったことに反省し、日本という国を見直すきっかけになった月でした。また、ミャンマーの理学療法士の方との交流があり、途上国でも一生懸命に理学療法を発展させようと頑張っている人の姿を見て勇気が湧いた月でもありました。
 3月、日本人には忘れられないショッキングな出来事が起こりました。東日本大震災により、多くの方がお亡くなりになり、そして今も厳しい生活環境や乏しい資源に悩まされ続けている方々がいらっしゃいます。自分にできることは何か悩む日々が続きました。
 4月、予定通り、退職し、派遣前訓練が始まりました。さまざまな手続きに翻弄され、家族の協力を得て手続きを終えました。母親の協力のありがたさを噛みしめました。
 5月、訓練所では中間テストがあり、無事合格。そして、理学療法士のI先生(JOCV経験者)震災ボランティアについて長野まで出張講義に来ていただきました。専門性に捕らわれない柔軟な活動、笑いの力、被災地の現状についてお話いただきました。(感謝)
 6月、派遣前訓練が終わり、いよいよドミニカ共和国に到着しました。ニューヨークからドミニカ共和国までの飛行機内に毛布がなく、さらに冷房が強くて、そして疲労もあってか、さっそく風邪を引いてしまいました。けど、それ以来は体調を崩すことなく過ごしています。
 7月、ドミニカ共和国での語学訓練が始まりました。ドミニカ共和国なまりで早口なスペイン語に苦戦しました。
 8月、任地のサンティアゴに移動。その翌日には配属先の病院へ行きました。いろいろ問題山積みな職場ですが、陽気で働き者のスタッフに歓迎され、働きやすい職場であると感じています。
 9月、内閣府から青年団が派遣されてきて、若い人たちとの交流がありました。みんな将来の夢や目標があり、話をしているとこちらまでワクワクするような人たちでした。また、この月は派遣されて3か月ということで、第1号報告書を作りました。
 10月、かなりドミニカ共和国にもなれてきて、他の隊員と一緒に国内旅行する機会が増えました。ハイチマーケットでスポーツシューズを買い、テニスやソフトボールなど、運動する機会も増えました。
大隣憲司投手と
 11月、コスタリカへ、研修に行ってきました。初めての任国外、これも手続きがいろいろあり大変でしたが有意義な時間を過ごせました。これをきっかけに、職場全体で協力して働こうというモチベーションが高まりました。
 12月、ドミニカ野球が盛り上がり、何度も球場に足を運びました。ニューヨークメッツの五十嵐亮太投手や、ソフトバンクホークスの大隣憲司投手がこちらで投げており、お話をしたりサインをもらったりと野球が好きになりました。