peerとは、「同等の立場の人」という意味です。ピアと読みますが、このピアを教育することをpeer educationと言います。私がこの言葉や概念を初めて知ったのは、尊敬する山本敏晴先生の著『国際協力師になるために』を読んだときでした。教育を行うときに、教師が生徒にあれこれ言うよりも、あるリーダー的存在を見つけて、その生徒を教育し、その生徒から他の生徒に教わったことを伝え広げる、という手法です。教師が「差別はいけませんよ」と言うよりかは、「差別はいけない」と思った生徒が、その友達に「差別はアカンで」と言ってくれた方が伝わる、というものです。
ただ、ピア同士、信頼し合っていなければ、「お前が何を偉そうなことを言ってるねん」となります。最初に教育する一人を誤ると上手くいかないと思います。学校教育の場合は、もちろん現場は学校です。学校では、このpeer educationをどう行っているのでしょうか?子供は好き嫌いがはっきりしているし、仲良しグループ、敵対グループなど、子供同士の組織図が非常に複雑なような気がします。国際協力の場合は、現場は途上国だったり、その町や、もっと小さな村かもしれません。もしかしたら、地域の学校へ行く可能性もあります。最も難しいのは、やはり子供を対象にした場合であるような気がします。大人が簡単だ、とは言いませんが、子供でできれば、大人でもできるような気がします。理学療法でも同じです。「小児疾患を見れれば、成人の疾患も見れる。しかし、成人の疾患をどれだけ分かっていても、小児への応用はできない。」これは、教育のプロである教師が最も力を発揮する分野なのだと思いました。私は教育のプロではありませんが、今持っている知識や技術を途上国の人たちに教育したい、と思っています。なので、peer educationに限らず、教育手法に非常に興味があります。勉強したいことがたくさんあります。
教育現場は多種多様ですので、この手法が使える場合と使えない場合があります。私の場合は最初の商業高校では多用しました。但し、非常に生徒を見る目が必要です。また基本的に担任が生徒に信頼されていなければ無理です。幸い毎回成功しました。最後のクラスでは『微笑みのファシスト』と呼ばれました。知らないうちに私の覆う方向に進めていかされてたと生徒は最後に気付いたようで、卒業時のマグカップに、そう記されていました。次の工業高校では、この方法を使っていません。男子ばかりのクラスでは、様々なパワーバランスがあり、難しい。すなわち自然状態が「万人の万人に対する戦い」ですから、担任は、絶対君主として押さえる必要がありました。本校でも、あまり使っていません。理由は簡単。必要がないからです。自然の流れに任せる方が、生徒が自然と成長してくれるからです。
返信削除国際協力の現場でも、同様に対象となる人々を見抜く人間力と、信頼を勝ち得ることが、この手法のベースだというのは変わらないと思いますし、そのさらに根底に”一念”が必要なことは…、リリ~君には蛇足かなと思います。
katabira no tsujiさん
返信削除この手法が使えるか、使えないか、「判断する」というのはプロの仕事ですね。400人強の患者さんと接してきましたが、まだまだ経験が足りません。やはり、人対人の仕事でいつも重要になってくるのは、人間学・人間力ですね。人間力を養いながら教育経験を積み重ねていくことが今後、自分が活動しながらやっていくことだと思います。全ては、「病気を減らし、障害を治療するため」に。これが私の一念です。